空き地の奥、ブロック塀と物置のすきまに、その基地はあった。
去年の春、誰かが捨てた木の柵と、雨に濡れて反った合板を、悠斗と陽が二人で運びこんで作った。屋根はビニールシート。風が吹くたびにばさばさ鳴る。大人がかがまないと入れない高さで、だからこそ、大人は誰も入ってこなかった。
入るには合言葉がいる。二人で決めた。意味はない。ある夕方、陽が蟬の抜け殻を指でつまんで、なんとなく口にした音の並び。悠斗が笑って、じゃあそれ、と言った。それだけで合言葉になった。
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その日、悠斗が空き地に着くと、フェンスに白い紙が貼ってあった。
読めない字ではなかった。工事のお知らせ、とだけ分かった。日付が書いてある。来週から、と。道の向こうでは自動運転のバスが音もなく曲がっていき、頭の上を配達のドローンが低く過ぎていった。悠斗はそれを見上げてから、紙をもう一度読んだ。
家に帰って、居間の隅のスピーカーに聞いてみた。この空き地、どうなるの。スピーカーは、その場所には住宅が建つ予定です、と落ち着いた声で答えた。よどみがなかった。悠斗は、そう、とだけ言った。それ以上は聞かなかった。
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夕方、陽はもう基地にいた。合言葉を言うと、いいよ、と中から声がした。
二人は膝を抱えて座った。すきまから、傾いた光が細い帯になって差しこんでいた。埃が、その中でゆっくり回っている。しばらく、どちらも喋らなかった。
「知ってた」と陽が言った。工事のこと。悠斗はうなずいた。
「ここ、なくなるな」と悠斗が言うと、陽は合板の壁を指でこすった。去年、二人で油性ペンで書いた落書きが、まだ残っている。恐竜みたいな絵。読めない暗号。順番を決めた背比べの線。陽の線のほうが、いつのまにか少し高くなっていた。
「合言葉、どうする」と陽が言った。
悠斗は、光の帯に手を入れてみた。あたたかくはない。ただ、指のかたちに埃が散った。
「持っとく」と悠斗は言った。「二人で」
陽は少し笑って、それがいい、と言った。誰にも教えない。書いてもおかない。ここがなくなっても、と言いかけて、陽はやめた。言わなくても分かる、という顔をしていた。
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次の朝、悠斗が通りかかると、基地はもうなかった。
合板も、反った柵も、ビニールシートも、まとめて運ばれたあとだった。土がならされ、四角く区切られている。重機の腕が、ゆっくり動いていた。作業をしているのは人ではなく、腕だけだった。とても正確に、とても静かに、土を平らにしていく。落書きのことも、背比べの線のことも、その腕は知らない。ただの木として運んでいった。
悠斗はフェンスの前に立って、しばらく見ていた。
それから、口の中だけで、合言葉を言ってみた。声には出さない。誰にも聞こえない。返事は、当然、ない。
かつてすきまだったあたりに、朝の光が同じように差していた。行き先を失って、まっすぐ地面に落ちている。悠斗はその光に、指を一本入れた。あたたかくはない。それでも、しばらくそうしていた。
いつか、この音を忘れるだろうか。
自転車にまたがって、ペダルに足をかける。まだ、覚えている。