AI活用の教科書

カーテン

物語2026年8月31日4 分で読了執筆: 翔平

二学期のはじまり。教室の前で足の止まった生徒と、何も聞かない保健室の先生。閉じたカーテンの内側で流れる、静かな時間の話。

読み物近未来学校

 始業のチャイムが鳴っても、佑は廊下で立っていた。教室のすりガラスの向こうに、席についた背中がいくつも並んでいる。夏の前まで、あの中に自分の席があった。今も、あるはずだった。

 手首の端末が、そっと震えた。〈体調はいかがですか。気持ちの整理をお手伝いします〉。画面に、やわらかい色の吹き出しが浮かぶ。指を近づけて、止めた。ここに打ち込めば、たぶん記録に残る。誰かの画面に、数字か文字で届く。

 佑は反対の方へ歩いた。階段を下り、いちばん奥。保健室の引き戸は、半分だけ開いていた。

 「入る?」

 沢田先生は、こちらを見ずに言った。窓辺で、鉢植えの葉を布で拭いている。答えを待つでもなく、拭き続けている。

 佑は、いちばん奥のベッドに腰かけた。白いカーテンが、レールに束ねてある。少し迷って、それを引いた。しゃっ、と乾いた音がして、まわりが白くなった。外の光がカーテン越しに透けて、内側だけがぼんやり明るい。

 しばらく、誰も来なかった。

 カーテンの向こうで、水をやる音がした。じょうろの、細い音。教室のスピーカーから遠い先生の声が漏れてくる。何を言っているかは、聞き取れない。聞き取れないくらいが、ちょうどよかった。

 「そこ、使っていいよ」

 カーテン越しに、声がした。「暑かったら、扇風機まわして。あと、飲み物あるから」

 佑は返事をしなかった。先生も、それきり黙った。

 次の日も、佑は保健室へ来た。その次の日も。

 教室に行けない理由を、うまく言葉にできなかった。何かあったわけじゃない。強いていえば、夏休みが明けて、みんなの間に自分の入る隙間が、少しだけ狭くなった気がした。それだけのことが、うまく越えられない。

 端末は毎朝〈相談チャットを開きますか〉と尋ねてくる。何度か、開きかけた。画面の向こうは、いつでも正しかった。深呼吸をしましょう、と言う。あなたのペースで大丈夫です、と言う。ぜんぶ、そのとおりだった。そのとおりすぎて、佑は何も打てなかった。

 保健室のカーテンの内側には、正しいことを言う声はなかった。ただ、じょうろの音と、扇風機の首が振れる音があった。

 沢田先生は、佑に何も聞かなかった。なぜ来ないのか。いつ戻るのか。ひとつも。ときどき、カーテンの外から、どうでもいいことだけを話した。今日は雲が多いとか、鉢の花が一輪ひらいたとか。

 「先生」

 三日目の午後、佑は初めて自分から声を出した。「ここ、記録、つけてます?」

 布で手を拭く音がして、少し間があった。

 「つけてないよ、ここは」

 先生は言った。「保健室で寝てたことなんて、大人になったら誰も覚えてない。私も覚えてない。だから、書かない」

 カーテンの内側で、佑は膝を抱えた。抱えた膝に、額をのせた。目の奥が、少し熱くなった。泣いたわけではなかった。ただ、ずっと張っていた糸が、一本だけ、ゆるんだ。

 九月の半ば、朝の光が少しずつ低くなってきた頃。

 保健室に、小さな女の子が運ばれてきた。一年生だという。転んで膝をすりむいて、泣いている。ベッドが足りない。沢田先生が、困ったように奥を見た。

 佑は、自分のカーテンに手をかけた。しゃっ、と半分だけ開けた。「こっち、あいてます」

 先生が、少し目を見開いた。それから、何も言わずに女の子を隣のベッドに寝かせた。カーテンは、開けたままにしておいた。

 膝の手当てが終わると、女の子は泣きやんで、天井を見ていた。佑も、同じ天井を見ていた。仕切りのない白い部屋に、扇風機の風が行き来した。

 「おにいちゃん、ここ、すずしいね」

 女の子が言った。佑は、うん、と小さく答えた。

 昼休みが終わるチャイムが鳴った。女の子は、また来てもいい? と聞いて、教室へ戻っていった。佑はしばらく座っていた。それから、カーテンをレールの端まで、ぜんぶ開けた。

 窓の外に、来たときより高くなった空が見えた。手首の端末が震えた。〈今日の気分を教えてください〉。佑は画面を見た。今日は、少しだけ、打てそうな気がした。まだ、教室のことは分からない。分からないまま、佑は立ち上がって、窓のほうへ一歩、近づいた。

 風が、開いたカーテンを、ゆっくり揺らしていた。

Follow

思いついたことを、AIでかたちに。

初心者でも、頭の中にあるものをそのまま形にできる短いプロンプトを、X で毎日発信中。

@ai_shohei_jp をフォロー