AI活用の教科書

花あかり

物語2026年8月30日5 分で読了執筆: 翔平

手で花を束ねる小さな店に、毎週おなじ色を買いに来る青年がいた。

読み物近未来

 通りの角の花屋には、いまどき珍しく人がいた。

 三軒隣に無人の花の販売機が入ってから、志乃の店の前を素通りする人が増えた。販売機は写真を一枚見せれば、贈る相手の顔色や部屋の明るさまで読み取って、いちばん映える花束を三十秒で組む。値も安い。志乃はそれを一度だけ使ってみて、悪くないと思った。悪くないのに、指が覚えている束ね方とは、どこか違った。

 だから志乃は、今日も手で束ねる。茎を斜めに切り、水を吸わせ、掌の中で少しずつ回しながら向きを決める。花には前と後ろがある。機械はそれを角度の数字で扱うが、志乃はいちばんきれいに見える顔を、光にかざして探す。

 その青年が来るようになったのは、梅雨の終わりごろだった。

 水曜の夕方、決まった時間に入ってきて、決まったものを買う。白に近い、淡い色ばかり。かすみ草、白いトルコキキョウ、薄い緑の葉もの。派手なものには一度も手を伸ばさなかった。

「これくらいで」

 青年の注文はいつも短い。予算も本数も言わない。志乃が見繕って束ねるのを、少し離れて見ている。掌の中で花が回るのを、目で追っている。

 包み終えて渡すと、青年は小さく頭を下げて出ていく。花束を胸の高さに、水平に持って。倒さないように、ゆっくり歩いて。

 志乃はレジの奥から、その後ろ姿を見送った。どこへ持っていくのか、聞いたことはない。淡い色の花を、水平に、大事に運ぶ人の行き先を、志乃はなんとなく察していた。

 夏になっても、青年は水曜に来た。

 一度だけ、雨の強い日があった。青年は肩を濡らして入ってきて、いつもより長く花の前に立っていた。志乃が声をかけると、少し迷って、こう言った。

「あの、花って、においで元気になったりしますか」

 志乃は手を止めた。

「どうかしらね」

 正直に答えた。においで人が治るなら苦労はない。けれど、枕元に花があると、窓の外の季節が部屋に入ってくる。夏なら夏の、秋なら秋の。それだけは、たしかだと思った。

「うちのは、香りは控えめよ。そばに置いても邪魔にならない」

 青年はうなずいて、その日はいつもより長く白い花を見ていた。志乃は、香りのやわらかいものを一輪だけ、そっと足しておいた。

 八月の終わりの水曜、青年はいつもの時間より遅れて来た。

 入ってきた顔が、少し違った。志乃には、それがすぐにわかった。長く花を売っていると、店に入ってくる人の肩の高さで、今日がどんな日か、わかるようになる。

 青年は白い花の前を通り過ぎて、店の奥で足を止めた。そこには夏の名残の、濃い色の花があった。オレンジのガーベラ、赤に近いダリア、黄色の小菊。志乃がいちばん日当たりのいい場所に置いている、明るい列。

 青年は、その前に立った。長いこと立っていた。それから、振り返って言った。

「今日は、明るいのがいいです」

 声が、少し掠れていた。

「退院、するので」

 志乃は一拍、動けなかった。それから、はい、と言って、鋏を持ち直した。

「じゃあ、うんと明るくしましょう」

 オレンジを芯にして、赤を添え、黄色を散らす。掌の中で回すと、花たちが夕日みたいに向きをそろえた。青年が半年、一度も選ばなかった色。志乃は、その色をずっと日の当たる場所に取っておいたのだと、束ねながら気づいた。いつか、この人がこれを選ぶ日のために。

 包み紙は白ではなく、生成りにした。明るい花が、いっそう明るく見えるように。

「重くないように、持ち手をつけておくわね」

 青年は花束を受け取って、胸の高さに掲げた。いつもの水平ではなく、少しだけ上に。花の顔が、店の照明を受けて光った。

「ありがとうございます」

 頭を下げて、出ていく。今度は倒さないようにではなく、こぼさないように。明るい色を、まっすぐ前に向けて。

 青年が角を曲がって見えなくなってから、志乃は表に出た。

 夕方の光が、通りの端に残っていた。三軒隣の販売機が、静かに音を立てて誰かの花束を組んでいる。写真を読んで、色を選んで、三十秒で。それはそれで、きっと誰かの一日を明るくするのだろう。

 志乃は店先の、明るい列の花を一輪、抜いた。売り物にならない、少し開きすぎた黄色の小菊。それをレジ横の小さな瓶に挿して、水を足した。

 半年、白い花ばかりが並んでいた奥の棚に、今日は黄色がひとつ、灯っている。

 明日の水曜は、来ないかもしれない。もう、来なくていいのかもしれない。それはいいことだ。志乃はそう思って、けれど瓶の花は片づけずに置いた。

 誰かの帰る道が、少しだけ明るいといい。

 志乃は店に戻り、まだ束ねていない花に、水をやった。

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