AI活用の教科書

一等星

物語2026年8月14日5 分で読了執筆: 翔平

夏の終わり、古いプラネタリウムの遅番。自動音声が消えた暗闇で、彼はひとつだけ、声にする。

読み物プラネタリウム

最終回のドームは、いつも客がまばらだった。

夏休みも残り数日という夜、航が座席の数を数えると、埋まっているのは七つだった。中央の投影機が低くうなり、天井が藍色に沈んでいく。館内放送の自動音声が、なめらかな声で夏の大三角を読み上げはじめた。録音された声は、毎回まったく同じ抑揚で、同じ間で、同じ星を指す。

航はいちばん後ろの操作卓の脇に立って、暗がりに慣れた目で客席を見ていた。斜め前に、灯里がいる。同じ遅番のアルバイトで、今日は彼女が投影機、航が場内という割りだった。

灯里は、この古い投影機の癖を手のひらで覚えている人だった。ピントの甘い日は、放送に合わせて指先でリングをそっと撫でるように直す。誰も気づかないその一手を、航だけが後ろから見ていた。ここで働きはじめて三週間、航が覚えたのは星座の名前より先に、彼女のその手つきのほうだった。

「航くん、あれ」

小声で灯里が振り返ったとき、天井の星がふっとにじんだ。自動音声が、夏の大三角の途中で不自然に途切れる。ザッ、と空気の抜けるような音がして、声が止まった。投影機の星だけが、音のない空に残る。

客席がざわついた。七つの人影が、天井と、暗い操作卓のあたりを見比べている。灯里の手が、放送を戻そうとスイッチを探った。けれど古い機械は、うんともすんとも言わない。

「……マニュアル、事務室」灯里の声がかすかに揺れた。

取りに行けば、五分は星が黙ったままになる。航は口の中が乾くのを感じた。それから、自分でも思いがけず、一歩前に出ていた。

「――えー、夏の、大三角、です」

声が裏返りそうになるのを、喉の奥で押さえた。マイクは使わなかった。ドームの丸い天井が、小さな声でもよく響くことを、航は毎晩の掃除で知っていた。

「いちばん明るいのが、こと座のベガ。織姫星、って呼ばれる星です」

指し棒の光を、天井の一等星に重ねる。手が震えて、光の点が星のまわりを小さく回った。それでも誰も笑わなかった。七つの人影は、天井を見上げたまま、じっと次の言葉を待っている。

「ベガまでの距離は、二十五光年くらい。……つまり、いまぼくらが見てる光は、二十五年前にあの星を出た光で」

言いながら、航は暗記していた台本を思い出していた。録音の声が毎晩読み上げていた、あの数字。同じ言葉のはずなのに、自分の口から出ると、まるで知らない星の話をしているみたいだった。

「二十五年前の光が、いま、届いてる。……ちょっと、すごくないですか」

小さな子どもが、うん、とうなずくのが暗がりに見えた。

航がひとつずつ星をたどるあいだ、灯里は投影機のそばで動きを止めていた。ときどき、彼の言葉に合わせて、そっとリングに指を添える。ピントが、航の声のところで、すっと合う。

二人のあいだに、台本にない間があった。航が言葉に詰まると、灯里が星をひとつ、明るくする。その光を頼りに、航はまた話し出す。声と光が、どちらからともなく、相手の半歩を待っていた。

途中で、自動音声が戻ってきそうな気配があった。どこかで誰かが直したのだろう、スピーカーが小さく息を吹き返す。灯里の手が、一瞬、そのスイッチのほうへ動いて――止まった。彼女は戻さなかった。振り返って、暗がりの中で航を見た。目が合った、と思う。星の光しかない場所で、それが本当かどうかは、わからなかった。

閉館の放送のあと、七人の客は、天井を何度も振り返りながら帰っていった。最後の子どもが、母親の手を引いて「ぜんぶで何個あった?」と聞いている。

ドームの明かりがつくと、星は消えた。ただの白い天井が、いつもより広く見える。

「……ぜんぶ、聞こえてたよ」灯里が投影機の陰から出てきて言った。「マイク、なしなのに」

「ここ、丸いから」航は天井を指した。それ以上うまく言葉が出ず、それだけ言った。

灯里はしばらく黙って、それから小さく笑った。「わたし、戻さなかった」

「うん」

「なんでだろ」

航は答えを探した。二十五年前の光の話ならできるのに、いま自分の胸にあるものの名前は、まだ届いていない気がした。窓の外は、都会のせいで星の見えない夜だった。それでも二人は、しばらく、消えたばかりの天井を見上げていた。

いちばん明るい星の名前を、航はもう一度、口の中だけで言ってみた。

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