始発の一本あとの電車で来た。駅からの道は覚えていたはずなのに、途中で一度立ち止まった。畑の色が記憶より濃い。
祖母の家は坂の下にある。玄関の戸は開いていて、土間に竹の籠が伏せてあった。子どもの頃、この籠に足を突っ込んで転んだことがある。今は足の甲より小さく見える。
「悠、来たの」
台所から声がした。前より高い。少しかすれている。
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朝の市場へ行くというので、ついていった。祖母は麻のシャツに帽子をかぶり、例の籠を肘にかけた。悠が持つと言うと、いいのいいの、と笑って渡さなかった。
坂を上る。祖母の歩幅が、思っていたより狭い。半歩ごとに、右の膝が小さく沈む。悠は自分の足がすぐ前に出てしまうのに気づいて、歩調をゆるめた。
市場は屋根のあるアーケードだった。奥に無人の精算台が並んでいて、青い光が野菜の上を撫でていく。祖母はそこを通り過ぎ、いちばん端の、人が座っている台の前で足を止めた。
「トマト、まだある?」
「あるよ、ハルさん。今日のは水っぽくないよ」
台の女はそう言って、赤いのを新聞紙にくるんだ。祖母は財布から硬貨を出す。指先が、数える速さより一拍遅れて動く。悠はそれを見ていた。見ていたことを、祖母には言わなかった。
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帰り道、籠は重くなっていた。トマト、茄子、桃がふたつ、豆腐が一丁。祖母の肘に食い込む紐が、白い線を作っている。
坂の下りで、祖母の帽子が風にとられかけた。あ、と手が上がる。その拍子に、肘から籠が滑った。
悠の手が先に出ていた。考えるより早かった。籠の紐を握った手のひらに、祖母のぬくもりがまだ残っている。
「重いよ、これ」
「そうかい」
祖母は帽子を押さえたまま、悪びれずに笑った。悠は籠を自分の肘にかけ直した。桃の重みが、思っていたより下にくる。
それからは、悠が半歩前を歩いた。祖母の歩幅に合わせているつもりだったのに、気づくと少し離れていて、そのたび立ち止まって待った。昔は逆だった。祖母の背中を追いかけて、この坂を上っていた。
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家に着くと、祖母は縁側に座って桃をむいた。皮の下から、湯気のような甘い匂いが立つ。ナイフの動きは遅い。けれど皮は途切れず、細い一本の螺旋になって膝に落ちた。
「昔のまんまだね、それ」
「これだけはね」
祖母は螺旋を指でつまんで、光にかざした。透けた皮の向こうで、朝の白い空が回っている。
悠は籠を土間に戻した。伏せずに、口を上に向けて置いた。次にこれを持つのは自分かもしれない、とふいに思う。そう思ったことは、まだ誰にも言わない。
桃の一切れが、皿の上で汗をかいていた。冷たいうちに、と祖母がすすめる。悠は籠のことを考えながら、それを口に運んだ。