AI活用の教科書

渋皮

物語2026年8月21日5 分で読了執筆: 翔平

口をきかない姪と、言葉の下手な叔父。栗をむく秋の夕暮れの、ふたりの手のあいだの話。

読み物家族

 美月は玄関で靴をそろえるのに、いつもより長くかかった。かかとをとんとんと壁に当てて、まっすぐに直している。昭夫はそれを廊下の奥から見ていた。姉から「夕方まで預かって」と連絡が来たのは昼過ぎで、理由は書いていなかった。書いていないということが、たぶん理由だった。

 「上がれ」

 美月は小さくうなずいて、返事はしなかった。中学二年の背は、去年の春に会ったときより高くなっている。制服のスカートの丈が、少しだけ膝から離れていた。

 台所の床に新聞紙を広げて、その上に栗をあけた。庭の木から落ちたのを、朝のうちに拾っておいたものだ。いがのとげが指に刺さらないように、軍手で拾った。ざらざらと音を立てて、茶色いのが山になる。

 「むくの、手伝ってくれ」

 昭夫は小さな包丁と、栗を一つ渡した。座卓の向かいに美月が座る。向かい合うと目のやり場に困るだろうから、昭夫は自分の椅子を斜めにずらした。並びでもなく、正面でもない、半分だけ横を向いた位置。

 栗のむき方を、昭夫は言葉で説明しなかった。ただ自分の手を、美月の視界に入るところで動かした。底の平らなところに刃を当てて、皮を起こす。起こしたところを指でつまんで、鬼皮をはがす。渋い茶色の薄皮が、その下から出てくる。

 美月の手が、それをまねた。刃が浅くて、皮がうまく起きない。何度かやり直して、ようやく一つめがむけた。渋皮の残った、ごつごつした実だった。

 「へたくそ」

 美月が、小さく言った。自分の手のなかの栗に向かって。

 「最初はそんなもんだ」

 昭夫は自分の手元を見たまま答えた。

 しばらく、包丁が皮を起こす音だけがした。かり、かり、と乾いた音。新聞紙の上に、はがした皮がたまっていく。

 昭夫のポケットで、電話がふるえた。取り出して見ると、朝に姉から来ていた文面の下に、細い字で何かが並んでいた。こういうときは、こう声をかけてあげましょう。落ち込んだ相手には、まず気持ちに寄りそう言葉を。よかれと思って、機械が用意してくれた台本だった。昭夫はそれを読まずに、画面を暗くしてポケットに戻した。

 「学校、どうだ」

 言ってから、しまった、と思った。どうだ、で答えられる子はいない。

 美月は栗をむく手を止めなかった。

 「席替え、あって」

 「ああ」

 「アプリが決めるの。仲いい子とばらけるように、とか、いろいろ計算して」

 「そうか」

 「合理的なんだって。先生が言ってた」

 合理的、という言葉を、美月は少しだけ強く言った。栗の渋皮を、爪の先でこそげようとして、うまくいかずに止めた。

 昭夫は、次に何を言うべきか分からなかった。ポケットの電話には、たぶん答えが入っている。寄りそう言葉も、励ます言葉も。けれど、それを読み上げる自分を思うと、手が動かなかった。

 だから、黙って栗をむいた。むいたのを、美月のほうへ一つ、転がした。

 日が傾いて、台所の窓が赤くなった。栗の山は、半分になっている。むいたほうの栗は、白いボウルにたまっていた。どれも少しずつ渋皮が残っていて、つるりとしたのは一つもない。

 「叔父さんの、汚い」

 美月がボウルをのぞいて言った。少しだけ、口の端が動いた気がした。

 「渋皮な、ぜんぶ取ろうとすると、身まで削れる」

 昭夫は一つ手に取って、指で見せた。茶色い筋が、白い実にまだらに残っている。

 「これくらい残ってても、煮れば柔らかくなる。食える。取りきらなくていいところってのが、ある」

 言ってから、ずいぶん余計なことを言った気がして、昭夫は口をつぐんだ。栗の話をしたつもりだった。それ以上の意味は、込めていない。込めていないはずだった。

 美月は、自分のむいた栗をひとつ、じっと見ていた。渋皮の残った、いびつな実。それをボウルに入れずに、手のひらにのせたまま、しばらく動かなかった。

 姉が迎えに来たのは、あたりが暗くなってからだった。美月は玄関で靴をはくとき、また、かかとを壁に当てて直した。今度は、さっきより短い時間で終わった。

 「これ」

 昭夫は、むいた栗を入れた紙袋を渡した。ゆがんだのばかりが、袋の底で音を立てる。

 「渋皮、残ってるけど」

 「うん」

 美月は袋を受け取って、両手で持った。それから、ほんの少しだけ、こちらを見た。何か言いかけて、やめた。言いかけたことが、たぶん、いちばん近いものだった。

 車のライトが遠ざかっていくのを、昭夫は門のところで見送った。ポケットの電話は、もう何も言ってこなかった。

 台所に戻ると、新聞紙の上に皮の山が残っていた。鬼皮と、こそげ落とした渋皮の、こまかいの。それを集めてまとめながら、昭夫はふと手を止めた。全部は取れなかったな、と思う。取りきらなくてよかったのか、それとも。

 窓の外で、栗の木が、暗がりのなかで小さく揺れた。明日もまた、いくつか落ちているだろう。

Follow

思いついたことを、AIでかたちに。

初心者でも、頭の中にあるものをそのまま形にできる短いプロンプトを、X で毎日発信中。

@ai_shohei_jp をフォロー