AI活用の教科書

西瓜

物語2026年7月11日4 分で読了執筆: 翔平

夏の夕方、縁側で。ひとつの言葉が出てくるのを、待つ時間の話。

読み物老い夫婦

包丁を入れると、乾いた音がした。よく熟れている証拠だと、義父から昔そう聞いた。半分に割った断面が、夕日でいっそう赤くなる。

宗一は縁側に新聞紙を広げ、その上で西瓜を切っていた。皿はもう出してある。妻の民子の分と、自分の分。孫が来る予定は、今日はない。

「切れたぞ」

声をかけると、奥から返事の代わりに、すり足の音が近づいてきた。民子は片手で襖に触れながら歩く。この一年で、その手が壁を探すようになった。

民子は縁側の座布団に、ゆっくり腰を下ろした。膝が畳につくまで、宗一は西瓜の種を取っていた。妻の皿の分だけ、いつも先に取る。

「今年のは、当たりだな」

宗一が言うと、民子は皿を見て、少し笑った。それから、西瓜のほうへ手を伸ばしかけて、止めた。

「これ……これ、なんだったかしら」

宗一は種を取る手を止めなかった。

「なんだと思う」

「……赤い」

「赤いな」

「甘い。夏の」

民子は宙を見た。喉のあたりまで来ている、というふうに、指先が小さく動く。宗一はその指を見ていた。

台所のほうで、小さな声がした。孫が置いていった、手のひらほどの機械だ。困ったことがあったら話しかけてね、と孫は言った。天気も、薬の時間も、知りたいことはなんでも答えてくれる。

その機械が、民子の言いさした言葉を拾ったらしかった。落ち着いた声で、それは西瓜です、と言いかけた。

宗一は立ち上がり、台所へ行って、機械の頭を指で軽く押さえた。声が途中で止まった。

戻ってくると、民子はまだ、宙のあたりを見ていた。急かしはしなかった。西瓜は逃げない。夕方も、まだ長い。

宗一と民子が所帯を持ったのは、二人ともまだ二十歳そこそこのころだった。夏になると、義父が畑で作った西瓜を、井戸で冷やして食べた。冷たさで手がかじかむほど冷やして、縁側で、種を庭に飛ばして。

あのころ、民子は種を飛ばすのがうまかった。庭の隅まで飛ばして、笑っていた。翌年そこから芽が出たのを見つけたのも、民子だった。ちいさい、と言って、しゃがみこんでいた。

宗一は覚えている。覚えていることが、いまは自分の役目のような気がする。

「……すいか」

民子が言った。

ゆっくりと、でも、はっきりと。自分の力で、喉の奥から引き上げてきた言葉だった。

「そうだ」

宗一はうなずいた。それ以上は言わなかった。よく出た、とも、正解だ、とも言わなかった。言えば、待っていたことになる。待っていた、とわかると、民子はきっと済まながる。

民子は西瓜を手に取り、かじった。汁が顎をつたう。宗一は自分の分もかじった。甘かった。当たりだった。

「昔ね」と民子が言った。「庭に、飛ばしたわね」

「種をか」

「そう。芽が出たの。あなた、覚えてる」

宗一は、少し黙った。

「覚えてないな」

嘘だった。けれど、そう言った。覚えているのが自分だけになるのは、まだ先でいい。今日は、民子に覚えていてもらう。

民子は得意そうに、庭の隅を指さした。もう畑もない、ただの土のところを。あそこよ、と言って。宗一は、そうか、と言った。

日が落ちかけて、西瓜の赤が暗くなっていく。二人はしばらく、種を新聞紙の上に並べていた。数えるでもなく、ただ並べて。

台所の機械は、静かにしていた。訊けば、いつでも答える。西瓜の糖度も、種の数も、明日の天気も。答えの出ないものは、たぶん、この縁側にしかない。

民子が、種をひとつ、指でつまんだ。庭のほうを見て、それから宗一を見た。飛ばしていいかしら、というような顔だった。

いいさ、と宗一は思った。声には出さずに。芽が出るかどうかは、来年になってみないと、わからない。

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