目が覚めても、行く場所がなかった。
六時十五分。四十年ぶりに、目覚ましを止める必要がなかった。枕元の端末は昨夜のうちにアラームを切っている。「今日からしばらく、予定はありません」と、昨夜そう言われた。丁寧な声だった。何も間違っていない。ただ、その正しさの前で、しばらく天井を見ていた。
妻はもう出ていた。台所のテーブルに、味噌汁が椀のまま伏せて置いてある。冷めていた。温め直すよう画面に頼めば一言で済むのを、そのまま飲んだ。
*
昼まで、何をすればいいのか分からなかった。
新聞は読み終えた。庭に出て、出て、すぐ戻った。座ると膝の上で手が所在なく組まれる。四十年、この手は書類をめくり、判を押し、電話を挟んで肩と耳のあいだで首を傾げてきた。急に、その全部が要らなくなった手だった。
夕飯くらい作ろう、と思ったのは、たぶん逃げ場が欲しかったからだ。冷蔵庫に、妻が買っておいた鰺が三尾ある。画面に任せれば、下ごしらえの手順はいくらでも出てくる。三枚おろしの動画も、包丁の角度も。けれど包丁を握って、手が止まった。
刃が、なまくらだった。トマトの皮の上を滑って、押し潰すだけで切れない。
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抽斗を、ひとつずつ開けた。輪ゴム、電池、いつのものか分からない鍵。いちばん奥の、奥まった暗がりに、それはあった。
砥石。
新聞紙にくるまれて、角が欠けている。表面のまんなかが、使い込まれてゆるく凹んでいた。手に取ると、乾いた石の重みが、思いのほか掌になじんだ。
いつだったか。まだ子どもが小さかった頃、正月の前に一度、これで家じゅうの刃物を研いだことがある。父がそうしていたのを、見よう見まねで。妻が横で、危ないから、と言いながら笑っていた。それきり、忙しさに紛れて、しまい込んだまま忘れていた。
水に浸すと、石の芯から細かい泡が立ち上ってきた。ひとつ、ふたつ、糸のように。石が水を吸っていくその音を、しばらく聞いていた。
*
やり方は、手が覚えていた。
刃を寝かせる。角度は、たしか十円玉が二枚。峰にそっと指を添えて、押すときに力を入れ、引くときは抜く。しゃり、しゃり、と鈍い音がした。研ぎ汁が灰色に濁って、石の縁からこぼれる。最初はぎこちなかった。途中で角度を見失って、また十円玉を思い浮かべる。
画面には、訊かなかった。訊けば、正しい角度も、力の入れ方も、たちどころに教えてくれただろう。けれど今日だけは、間違えたまま、手で確かめていたかった。
どれくらい経ったのか。窓の光が、少し傾いていた。指の腹で刃をなでる。爪に、かすかに引っかかる。試しにトマトへ刃を下ろすと、抵抗なく、すっと沈んだ。切り口が濡れて光った。
なんだ、と声が出た。誰にともなく。
*
気づけば、家じゅうの包丁を並べていた。菜切り、出刃、小さな果物ナイフ。妻がいつも使っている一本は、握りの木が手の脂で飴色になっていた。それも研いだ。ついでに、と鋏まで持ち出して、笑いそうになる。研ぐものが、なくなってきた。
玄関の開く音がした。
妻が、流しに並んだ刃物を見て、それから、灰色に汚れた彼の指を見た。何か言いかけて、やめた。かわりに、鰺を一尾つまみ上げて、まな板に置いた。
「これ、おろしてくれる?」
うん、と答えた。声が、少し掠れた。
包丁を握り直す。さっき研いだばかりの刃が、蛍光灯を短く弾いた。四十年ぶりに要らなくなった手が、いま、一尾の魚の前で、少しだけ行き先を見つけていた。
明日も、たぶん行く場所はない。それでも、研ぐものなら、探せばまだ、どこかにあるだろう。